月: 2014年2月

  • ここであきらめたら、もう終わり?

    ここであきらめたら、もう終わり?

    20140228お悩み相談コーナーにいただくメールで、このところ多かったのは「復縁」に関することでした。

    恋人との関係が終わったとき、「次の出会いはありますか?」と聞かれる方は少なくて、「元に戻れるか?」を尋ねられることが圧倒的に多いです。

    そう聞くと、「未練のある人が多いのか」と思われるかもしれません。でも、それも少し違うようなのです。(次の出会いを尋ねる人も未練は必ずあります。苦しみは同じです。)

    というのも、「復縁できますか?」という内容のメールには、「諦めたほうがいいでしょうか?」という言葉が含まれている場合が多く、そこを見極めたいと思っている方からの相談が目立つのです。

    そういう心理の裏には「あきらめたら、もうおしまい」という意識があるのかもしれません。

    スポーツや受験戦争、仕事の競争などは確かにそうです。
    あきらめれば、もう先はない。

    でもですね、恋愛はそれらとは性質が違うものだと思います。

    「あきらめません。待っています!」と言う相手の一途さ、粘り強さに感心して、再び愛する気になるものでしょうか?
    むしろ、「楽しかったよ、バイバイ」と、あっさり去って行った相手の背中を、思わず追いたくなったりする――それが恋愛です。

    「あきらめてしまったら、もう元には戻れない」という危機感が「じっと待っている」という辛い状況を生み出すように思います。

    心の中で復縁の日を願いつつ、他の恋も探してみたり、仕事やレジャーにも気持ちを向けたり。ニュートラルな姿勢で、あくまで肩の力を抜いて……。
    そんな日々の先に、ひょっこり復縁はやってくるかもしれません。こういう実例は本当に多いです。

    復縁を望んでいても、「あきらめる」か「あきらめずにいるか」を決める必要はないのです。

  • 待つことで増すのは喜びです

    待つことで増すのは喜びです

    20140221春が恋しくて、春色の花を買いました。

    春を待つのも、愛しい人を待つのも、同じような心理です。

    「早く……」と何度も想いつつ、
    待ちきれない気持ちを抑えるために、
    写真を見たり、その人の気配を想い出せてくれるものをそばに置いたり。

    そうやって、待って待って待ち望んで、ようやく訪れる再会のとき。
    「待った」からこそ、ひとしおになる喜びがあります。

    1年中、春が続いたら、あの人がそばにいたら、この喜びは味わえません。

    待つからこそ増す喜びのために、今日も春を、愛しい人の帰りを待ちましょう。

     

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  • ドキドキするのは生きている証

    ドキドキするのは生きている証

    20140214前日、近くのグロッサリーで、バレンタイン向けのワインが売られているのを見て、このチャーミングなボトルに一目惚れ。
    誰に贈ろうか、考えないまま買ってきて、今日になってもまだ家の中にあります……。

    生まれて初めて、好きな人にバレンタインのチョコを贈ろうと思ったのは、小学校6年生のとき。
    同級生に好きな男の子がいました。

    当日、学校では勇気が出ず、家に帰ってから、その子の自宅の前まで行ってみたけれど、
    やっぱり、ますます勇気が出ず……。
    すごすご帰って、自分でチョコを食べましたっけ。

    「贈る」という行為は達成できなかったけれど、そのときのドキドキは今も心に残っています。
    そんなことを思い出しながら、赤いハートマークを見ていると、マークが高鳴る心臓に見えてきました。

    どういう結果になっても、「ドキドキしてみる」って悪くないです。
    長い人生を振り返ったとき、ドキドキした経験自体、「生きた証」になっていくから。

    今日のあなたが勇敢になれますように。

    ハワイアン

     

  • 「運」に恵まれるための心得

    「運」に恵まれるための心得

    20140207オリンピックが始まりますね。「感動」の舞台であり、「悲運」や「理不尽さ」の舞台であり、悲喜こもごもを誰もが語らずにいられなくなるような舞台です。

    願いが叶うかどうか。それは誰にも分からないこと。
    大舞台での勝利というのは、願いが強いかどうか、実力があるかどうか。それだけでは得られないものだからです。

    「運」がある人、ない人――そんな言い方をすることもあるけれど、「運」というのは、その人の持ち物ではありません。
    もし、持ち物だったら、奪うこともできるし、捨てることも出来きます。けれども、「運を強奪する集団」とか、「運を断舎利した人」なんていうのは聞いたこと、ありませんよね。

    ベーシックなタロットカードには『世界』という名のものがあります。運命の女神フォルトゥーナが描かれたこのカードは「完成」「成就」といった解釈をされているもの。物事の完成には、運命の女神のご加護が必要であることを暗示しているかのようです。

    全部がそろっていても、「運」が来なければ完成ではない。
    じゃあ、どうしたら最後の切り札、「運命の女神の加護」に恵まれるのでしょう?

    あがいてもダメです。ご機嫌をとってもダメです。懇願してもダメです。じっと待ってみてもダメです。

    もう、何ひとつ出来ることはない。
    そう自覚している人だけが、運にその「身」を完全に任せられる人。
    運と一体になり、世界と一体になれる人。
    タロットカードの『世界』から、私はそんなメッセージを読み取っています。

    だから選手たちは、この日に向け、「もはや何ひとつ、やっておくべきことはない!」と心から言える地点まで自分を追い込んでいくのでしょう。

    もう何もできないと知っているあなたのもとに、あなたの応援する人のもとに、運が訪れますように。READING THE TAROT