オリンピックが始まりますね。「感動」の舞台であり、「悲運」や「理不尽さ」の舞台であり、悲喜こもごもを誰もが語らずにいられなくなるような舞台です。
願いが叶うかどうか。それは誰にも分からないこと。
大舞台での勝利というのは、願いが強いかどうか、実力があるかどうか。それだけでは得られないものだからです。
「運」がある人、ない人――そんな言い方をすることもあるけれど、「運」というのは、その人の持ち物ではありません。
もし、持ち物だったら、奪うこともできるし、捨てることも出来きます。けれども、「運を強奪する集団」とか、「運を断舎利した人」なんていうのは聞いたこと、ありませんよね。
ベーシックなタロットカードには『世界』という名のものがあります。運命の女神フォルトゥーナが描かれたこのカードは「完成」「成就」といった解釈をされているもの。物事の完成には、運命の女神のご加護が必要であることを暗示しているかのようです。
全部がそろっていても、「運」が来なければ完成ではない。
じゃあ、どうしたら最後の切り札、「運命の女神の加護」に恵まれるのでしょう?
あがいてもダメです。ご機嫌をとってもダメです。懇願してもダメです。じっと待ってみてもダメです。
もう、何ひとつ出来ることはない。
そう自覚している人だけが、運にその「身」を完全に任せられる人。
運と一体になり、世界と一体になれる人。
タロットカードの『世界』から、私はそんなメッセージを読み取っています。
だから選手たちは、この日に向け、「もはや何ひとつ、やっておくべきことはない!」と心から言える地点まで自分を追い込んでいくのでしょう。