こちらのコーナーでの報告が遅くなってしまいました。
ご心配いただいていた闘病中の父ですが、先週の木曜の朝、別れのときを迎えることとなってしまいました。。
たくさんの方に、父の快方を願っていただいたのに、よい報告ができなくてごめんなさい。
でも、みなさまのお気持ちが、どれほど嬉しかったか分かりません。
それに、ここ数か月、このダイアリーコーナーをあまり更新できなかったのに、いろんな報告のメールをみなさんが送ってくださったことも、私にとっては励まれていたことでした。
父の病状がどんどん悪くなっていくのを見ている苦痛のなか、「ここにメールをくださる皆さんは変わらず、いつも通りに生きていてくださっている」と感じられることに救われていたのです。
気がつけばもう、別れの日から1週間以上。
葬儀などのバタバタも過ぎ、ようやく少し心を落ち着け、喪失の痛みに向き合う時間に入り始めたところです。
もう2度と会えない人。
でも、永遠に忘れることはない人。
それが肉親というものなのかもしれない……と、そんなことを思いつつ、いや、肉親に限らず、人生のなかで、一時期であっても深い関わりを持たせていただけた方はすべて、永遠に自分の心の中に生き続けていくのだろうな……と改めて感じたり。
それに、「失う悲痛」が存在するのは、「得ていた愛」があるからこそ。
愛された記憶、愛した記憶を絶やさずに生きていこうと思います。
父が亡くなったのは、先週のダイアリーでご紹介した『シャドーキャット・タロット』が立ち上がった日でもありました。
その日の夜、心が少し落ち着いてから、新しいサイトを開いて、自分で無料の占いを試してみました。
「カードを引く」をクリックすると、そこに現れたのは「暗雲が広がる空の下で、自分の手を舐めている猫」のカードと、その解説文でした。
ほんのふた月前に自分で書いたものなのに、解説のなかの一文を読んだとたん、涙が零れてしまいました。
「一生懸命、自分で自分をなめることで、猫は自分を癒します。
自らを癒す不思議な力を持って生まれているのでしょう。
これは人もまた同じです。
どんな人もその内側に「自らを癒していく力」をね、持って生まれてきているんですよ。」
……なんだかまるで、この日の自分のために書いたみたいなひと言。そんな言葉を引き当てることに運命の不思議を感じた日でもありました。
もし今、この記事を読んでいただいている方のなかに、大切な人やモノや時間や場所を失って、悲しみに暮れている方がいらしたなら、この言葉に励まされていただければ……と思います。
どんな人も、その内に「自らを癒していく力」を持っています。
肌の傷に“かさぶた”が出来るのも、
打ち身のアザが赤から青く変わるのも、
内なる治癒力が働くから。
心の傷や痛みも同じです。