みなさま、よいお年を……。幸せが訪れますように

今年最初に書いたダイアリーは、おみくじの話でした。

たとえ、新年のおみくじで「凶」を引いても、「ピンチはチャンス」に変わるから、きっと大丈夫というお話です。

なんだか、もう随分昔に書いた気がするのですが、たかだか一年前だったとは。

一年経つのが早いような、遅いような……。

 

ともかく、今年も無事に、何かを書き続けて、みなさまにお届けしてこられたことを神様に感謝。。

個人的には心配なことがいくつかありましたが、
ぷっつり途切れてしまうご縁がなく、
いろんな方との繋がりが一年、続いたことにも感謝しています。

この場所だけでなく、Amebaブログやinstagramを通じて、交流させていただく方も増えました。

一度、Amebaブログのコメント欄に、
「幸せになるって、こんなに難しいことなのでしょうか……」
という言葉を寄せてくださった方がいらして、何か言葉を返して差し上げようと
「人生はオセロ」という記事を、アメブロのほうに書きました。

※Amebaブログへのリンクには以下からお越しいただけます
『今が「八方塞がり」でも……人生はオセロ』

いいことが何もなくて、失うものが多くて、苦しくて……という毎日が続くときって、まるで黒いコマでオセロゲームの盤がどんどん埋まっていくような感じですよね。

今、このダイアリーを読んでくださっている方のなかにも、この一年が「苦」だらけの辛い一年だったと感じていらっしゃる方もいるかもしれません。。

でも、人生はオセロ。
黒のコマで埋まりそうな人生という「盤」がパタパタパタっと見事、白いコマに変わっていくこと、たくさんあります。

人生って本当に終わってみないと分からないオセロゲームなのです。

ひとつの年をまたぐたび、また気持ちを仕切り直して、前に進んでいけたなら、逆転勝利の日はやってくるでしょう。

今、幸せを感じている方は、どうぞ、白いコマをひとつでも増やすために、来年もまた、手持ちのコマを活用して、前に進んでいってくださいね。

新たな年がもたらす出会いやチャンスを楽しみに、どうぞよいお年をお迎えください。

一年間、私にがんばる力を与えてくださって、本当にありがとうございました。
また精進して参ります。。


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▼こちらの記事もご覧ください

「ピンチはチャンス」という言葉が持つ本当の意味

小さなことに感謝して生きるには……「前提」が問題なのです

どうにもこうにも「泣き言」をいいたくなるとき、ありますよね。

でも、あなたの泣き言を親身に聞いて、深く共感して、「それはそれは大変だね」と言ってくれる人は少ないはずです。

大抵は、

そんなもんだよ、
グダグダ言うなよ、
分かるけれど、でもさぁ……そういう反論が返ってくるでしょう。

冷たいなあ……と思うかもしれません。

でも、あなたはどうでしょう?

友達の愚痴を聞いて、心底、励ます気持ちになること、どれくらいありますか?

グチグチ言われば言われるほど、イヤになってくること、ないでしょうか?

「だいだい、この人、ワガママなのよね」と心の裏で思っていたりしませんか?

 

自分に出来ないことを人に求めるのは、悲劇の始まり。

私って優しくないなぁ……と思うことがあるなら、
友達や恋人が優しくないことがあっても許してあげてくださいね。

それって、自分を許すこと。

自分のことを好きになれず、自己評価が低い人って、自分にも他人にも、厳しくしすぎていることが多いのです。

「なんで、この人はこんなに冷たいんだ!」
「礼儀知らずなんだ!」
「人に迷惑をかけるんだ!」

そんなふうに怒ってしまうことが増えてきたなら、「でも、世の中は最初からそんなもの」と思ってみてください。

そこでガッカリしないでほしいのです。

ガッカリするのは、「私も他人も、冷たく、礼儀知らずで、人に迷惑をかけるような人間であっては決してならない」という厳しさがあなたのなかで増しているからです。

人には優しく、
礼儀を持って、
迷惑をかけず。

……そういう人間でいられたら、すごいけれど、
いつもいつも、そんなにいい人間ではいられません。それが普通です。

この「それが普通」という感覚こそ、「そんなもの」という意味なのです。

 

「そんなもの」と思っていれば、
腹は立たないし、失望もしないし、あまり不幸も感じません。

いつの間にか、自己嫌悪や他者への怒りが心に住み着いて、毎日が重たくなっていくことも防げます。

 

よく、「小さなことにも感謝して生きましょう」と言いますよね。

だけど、「大きな期待」を人生や自分自身や他人に持っていれば、小さなことに感謝なんて出来ません。

頭では「小さなことにも感謝しなきゃ……」と思っていたって、
その根底に、「人に優しく、礼儀正しく、迷惑をかけずにいるのは当たり前」と思っているからです。

そういう根底があるとね、
ほんの少し、人から優しくしてもらったくらいの「小さなこと」に感謝する気持ちになんてなれませんよね。

そんなのは当たり前でしょ、と思ってしまうから。

 

どうも最近、なにもかも面白くない……そんなときは「前提」を見直すことで、気持ちが変わっていきますよ。

今回、こんな話をしたのは、私自身が最近、自分自身や他者や人生に、いつの間にか大きな期待を抱いて、イライラしたり哀しくなったりし始めていたからです。

もともと、そういう傾向があるので気をつけていたつもりなのですが、
寒さが増す季節がやってくると、なぜだか、この傾向が出てきてしまうのです。。

なんだか最近、モヤモヤするので、自分の心をチェックしてみて、「ああ、期待が上がっているな」と気づきました。

だから「期待値のほうの目盛」をね、ススッと下げてみたら、もう、たちまち楽になりました。

目の前の現実は何一つ変わらなくても、
生きやすくなることってあるのです。

そういう知恵をね、ひとつひとつ重ねて、こうして生きていられることに感謝。。

そうやって生きてきた日々が、誰かの役に立ちますように。

 

誰かのことを想うとき……わたしたちは救われているのです

あれは何年前でしょう。

人生に久々に訪れた「辛くてミジメな苦悩のとき」を過ごしていた私に、こんな言葉を掛けてくださった方がいました。

「自分のためより、人のために生きたほうがラクですよ」と。

私がショボジョボと暗い顔をして、毎度ぶちぶち自分の苦悩やらなんやら、泣き言をいうのを見かねて、そっと「救いの言葉」をくださったのです。

でも、その時点では、この言葉が「救い」だなんて、まったく分からなった私。

はぁ、そう言われましてもね……、
いろいろと自分のことで考えなくちゃいけないことが山積みでして……。

……その方の親切な心を理解せず、そんなふうに思っていたのです。

 

でも、数か月後、この言葉の意味をハッキリ悟る出来事が起こりました。

高校のときの友人たちと、10年ぶりに再会したのです。

郷土に戻った私は、5人の友達と次々、顔を合わせ、懐かしい再会を楽しみました。

とはいえ、いろいろなことが重なって身も心もボロボロ。
だから、自分に起きたことを友達に話します。慰めてもらいたくて……。

だけど10年のあいだに、友人たちにも色々なことが起きていました。

私の話を聞いて「そうか、そうか。大変だったね」で、話が終わった友達はひとりもいません。
「実は私もね……」といながら、聞いて驚く打ち明け話が出てくるのです。

 

なにしろ、みんな同い年。
生きていれば、それぞれが何かしら重たい事情を抱えずにいられない年頃だったのです。

最初の日の夜、ひとり目の友達から、
次の朝はふたりめの友達から、
夕方に合流した3人目と4人目の友達から……
どんどん、それぞれの事情を聞かされます。

どの話も深くて重くて……。

そういう数日が続くうち、不思議な感覚がやってきました。

今まで「自分のこと」で一杯だった私の頭。
その頭に、どんどん「人の悩み」が注入されてくる感覚です。

本当に「感覚」としか言いようがないのですが、
「私の悩み」がどさっと入っているタンスに、ぎゅうぎゅうと「人の悩み」が入ってきて、「私の悩み」が占めてるスペースがどんどん圧縮されていくような感覚なんです。

……これは、なんだろう?
昨日まで、あんなに苦しかったのに、その苦しい気持ちが明らかに小さくなっています。

パンパンに膨らんでいた苦悩がね、シュルシユルッとしぼんだような不思議な感じがハッキリするのです。

まるで「そこ、詰めて詰めて! 私も入れて!」と言いながら、他の人たちが私の頭になかに入ってきたみたいな、そんな感じでもありました。

 

3日目はみんなが集まり、ワイワイやりながら、それぞれの事情の話がまた出ます。
その夜、私はみんなの悩みについて考えていました。

あの子の悩みは大変だな。何か言ってあげられること、ないかな……。

あの子の悩みについて、知り合いに相談してみようかな。
いい医療機関を知っているかもしれないし……。

あの子の悩みは昔から同じだな。ずっと苦労してきたよね。
何かしてあげらたらいいのに……。

そこで、ふっと気づきます。
昨日の夜まで、寝る前のひとときに私が考えていたのは、ひたすら自分の苦痛だったことに。

どうしよう。
辛いよ。苦しい。
腹が立つ。
寂しい。
心配……

……そんな気持ちで毎晩、心が一杯だったのに、
今夜の私は「自分のこと」をひとつも考えていない

こんなふうに悩みを忘れられたのはいつぶりだろう……。

と、そのときです。

「自分のために生きるより他人のために生きるほうがラクですよ」
というあの言葉がね、脳裏に浮かんだのです。

ああ、あの言葉に込められていたのは、こういうことだったんだ……。

私は私しか見ていなかった。だから苦しかった。

こうして誰かのことを考えていれば、自分の苦悩は忘れてしまえるものなんだ。

どうにもならない苦痛をひたすら見つめているより、よっぽどいい。
それは人のためじゃなく私のため。私がラクになれることだったんだ、と。

それ以来、私は他人のために生きるようになりました……
なんていうのは嘘。そこまで立派にはなれません。

だけど、不安や孤独や心配ごとに襲われたとき、
「あっ、いけない、いけない。自分のことばかり考えているから憂鬱になっている!」
と気づけるようになりました。

そして自分以外の人々に意識をなるべく向けます。
そうすると、本当にラクになるのです。

その後、まったく同じようなことを言っている人にも会いました。
献身的に施術をしてくださる、予約が取れないほど人気の鍼灸の先生です。

「たくさんの患者さんがいて、いつも大変ですね」と言ったら、
「いや、人のために生きるのって思うより辛くないんですよ。
自分のために生きていると行き詰りますからね」と笑って答えくださったのです。

「ああ、こういう知恵を持って生きている方が周りにたくさんいたことにも、今まで私は気づかなかったんだなぁ……」と感じ入りました。

 

よく「悩みを手放す」と言います。
だけど、簡単にはできませんよね。

でも、
誰かのことを思うとき、私たちは無意識のうちに自分の悩みを手放しているのだと思います。

この知恵があなたにも役立つことがあるかもしれません。
あるといいな、と思っています。